軟部人類学の創設者

足立文太郎博士

博士の写真 湯ケ島小学校には博士の記念
碑があります。
 質問  足立博士は、どんな活躍をされたんですか?
 答え  天城の生んだ世界的な医学者ということです。
先生は、町の偉人として多くの人に称えられているんですよ。
 質問  では、どうして世界的医学者になったんですか?
 答え  足立博士は、医学の中でも難しい分野の解剖学を志し、欧米のまねではない、日本独自の解剖学の研究をして、「軟部人類学」の創設者として、学会をささえてきた事が高く評価され、世界的医学者の仲間入りをしたんです。
 質問  博士は研究中、どんな苦労をしたのですか。
 答え  まず、経済的に恵まれなかったようです。
 靴を買う余裕もなく、ゴム靴や下駄ばきで大学(東大)に通っていたので、よく小使いさんと間違われていたようですし、卒業後も、研究に没頭するあまり家計は苦しかったようです。
 こんな苦しい中でも、ドイツの大学に留学し、研究生活では、弟子たちの面倒見が大変よく、いまだに当時を知る人達から慕われています。
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