2015.2.22 下田市内箕作 深根城址探訪

 朝7時に、下船原(原の前バス停)出発、柿木を一回りして、下田に向かいました。
 箕作バス停から徒歩で、稲生沢川を望む、給料にある城址に向かいます。
 軽自動車が走る程度の道を歩き、山道に入ります。
 程なく、深根城址に到着しました。
 狩野氏ゆかりの、足利茶々丸は、見方の関戸吉信の本拠の深根城で、伊勢新九郎(北条早雲)軍と手勢200名、雑兵50名で、最後まで抵抗したものの、ついに破れ、深根城間落後、自害、時は明応7年(1498年)8月のことと言われています。
 狩野介はじめ、狩野一族は6年間も支えてきた茶々丸を失いました。この機に伊勢新九郎軍に降伏したと考えられます。
 現在、城址には民家が2軒(以前は5軒)あります。
 シダレザクラがあるあたりが、城址だったと考えられ、鬼門の方角は鬼門避けが施されていました。
  深根城址は、昭和51年に、下田市の史跡に指定されています。
 城址をさらに登ると、神社があります。
郭の北側は山、東南面は湿地、西は濠で固めた城だったため、伊勢新九郎(北条早雲)もかなり手を焼いたということでした。