2011.10.1〜2. 狩野氏探訪レポート

 10月1日2日と、狩野城の会の皆さんと合同で、京都方面に研修に行ってきました。
 今回の目的は、第1が絵師狩野の一派「京狩野派」の作品や菩提寺を見学することで、
改めて狩野派の魅力にふれるとともに、研修を深めることでした。
 そして、第2は狩野城に似た山城(滋賀県太山寺城)を訪問し、住民主導で維持管理
や活用に尽力している地元団体の説明・案内を受け狩野城の会の今後の活動の参考とするためでした。
 幸い天候に恵まれ、全コース無事に見学できました。
 10月1日、最初に狩野城に似た山城「太山城跡」を訪問しました。ここは、住民主導で
維持管理や活用を行っていて、今後の活動の参考になりました。
 「太山寺里山保全づくりの会」があり、民間が主導で様々な活動をしていました。周辺農地を利用しての都市との交流や歴史ハイキングなどを通じ、数々の実績をあげれれています。
 狩野城も周辺の自然や歴史・観光資源とともに、地域を巻き込んだ振興策が必要であることを痛感しました。
 太山寺城は、片側が急斜面であり、横に長い地形を利用して土塁や堀切などがあり、外敵の侵入に知恵を使っていたことなどが、よくわかりました。
 南禅寺は正応4年(1291年)、亀山法皇が開創しました。
歴史上の特色は京都(五山之上)に列せられたこと、当時最も傑出した禅僧が歴代往持として住山したこと、その結果五山文学の中心地として栄えたことなどです。
 重要文化財の三門は、石川五右衛門が「絶景かな絶景かな……」と言ったとのいわれもあり、「南禅寺山門」と呼ばれています。
 天井画の天人と鳳凰の図は狩野探幽筆で、京都三大門の一つです。 名勝指定庭園でもある「方丈庭園」は禅院式の枯山水が随所にありとても素晴らしいものでした。この中に国宝の「大方丈」があり、襖絵は狩野元信・永徳・探幽の作品でした。特に、小方丈の襖絵は、狩野探幽の傑作といわれ、「水呑の虎」は、特に名高く行列ができてい
ました。
 明治維新後に建設された、琵琶湖疏水水路閣も、南禅寺境内を通っていて、京都を代表する風景の一つでもありました。
 妙覚寺は、室町時代の1378年、「日蓮」の孫弟子「日像」の法孫・日実により創建されました。
 このお寺は、本能寺の変があったとき、嫡男の織田信忠が宿泊していた寺となっており、1583年「豊臣秀吉」の洛中寺院整理令によって現在地へ移転したとされています。
 このように、歴史的にも価値のある寺院の墓地に、狩野派の墓所がありました。
 ひっそりとした場所を選んだわけではないでしょうが、少しわかりにくい場所で、境内で場所を教えてくれた方が、わざわざ再度教えに来ていただき、場所がわかりました。当時のままだから、今も墓石に書かれている文字がわかる、という説明に歴史の重さを感じました。
 用意していた線香を上げることができて、大変良かったです。
  徳川家康の命令により建造され、ユネスコの世界遺産にも指定されている二条城と絵師狩野派の報告です。
 二の丸御殿は国宝であり、特に大広間は1867(慶応3)年、10月、第15代将軍徳川慶喜が、諸般の重役を集め、大政奉還を発表し、徳川幕府の幕を閉じた歴史的な部屋です。
 この広間の作品をはじめ、御殿や建築物の棟内には、狩野探幽・尚信などをはじめ、狩野派絵師たちによる障壁画を見ることができました。
 また、狩野派絵師の活躍は、江戸寛永期で、幕府の御用絵師だった様子確認でき、多くの作品が重要文化財に指定されており、文化財保存に向けた障壁画の模写も行われていることを知りました。
 今回の研修目的である、多くの狩野派の作品を見学でき、菩提寺も確認できた事で、
十分な成果が得られてことと考えています。
 次の機会も楽しみにしています。