2013.2.24. 安倍の狩野氏探訪レポート

 先ず、蒲原城址に行きました。蒲原城は、駿河の防衛・昭和区のため、今川・
北条・武田の3氏による工房の舞台となった、戦国期の城郭です。
 狩野氏と直接のかかわりはありませんが、城のつくりが狩野城とよく似てい
ること、ボランティアガイドにより、区域を案内していることなど、今後の会
の活動に参考になるということで、視察しました。
 駿河湾と富士山に囲まれ、とても風光明媚でした。郭の役割を果たしている
岡も海との間にありましたが、東名高速の工事で平にされたということでした。
本廓に行く途中に堀切もありましたが、竹林となっており、当時をしのぶことは
できませんでした。
 蒲原城は1331年今川氏が築城したとされます。
 その後、北条氏が入城し大改築をしますが、1569駿河に侵攻した武田氏
の攻撃を受け落城、城は武田氏より徳川氏に移りますが、1590頃、廃城に
なったとされます。
 次に東海道広重美術館です。
 東海道広重美術館は、平成6年、東海道の宿場町「由比宿」(静岡市清水区由比)の跡地に建設されました。江戸時代の浮世絵師・歌川広重の晩年の作品を中心に、約1400点を収蔵しています。
 由比で昼食となりましたが、時間がありましたので街並みを散策しました。
 3番目は狩野貞長の墓所です。
静岡市内を通り、安倍川を渡りましたが、なんと橋の名が「狩野橋」、いかに狩野氏がこの地で活躍していたかを物語っています。
 バスを西ヶ谷総合運動場に止め散策、左手の高い山が「安倍城址」ということでした。その城址まで行くには2〜3時間かかるため、次回のお楽しみとなりました。
 市内を散策しましたが、運動場通りを過ぎて橋を渡ったところ「貞長橋」これにも驚きました。
貞長の曾祖父にあたる「時光」の時代に駿河安倍郡に移り住んだ狩野氏の一族があり、勢力を拡げ、貞長の代に安倍城を築いたと言われます。
安倍の狩野氏は、南北朝の統一の時期まで、駿河守護の今川氏に圧迫されつつも、城を守り続けていました。1433年、今川により安倍城は攻撃され、9月9日攻め落とされました。
 狩野貞長は、静岡市内牧地区の丘の上の墓所に祀られています。
 
 安倍の狩野氏と徳川家康のかかわりは、特筆すべきものがあります。
 徳川家康は、小山城の戦いで、狩野軍の活躍に目をつけていました。
 家康は、天下統一後、31代狩野景信の家にやってきて、自分の家臣にならないか、と勧めました。
しかし、狩野家は、代々武田に仕えてきたので、今更徳川家に仕えるわけにはまいりませんと、せっかくの機会を断りました。
 家康は、その心構えがたいそう気に入り、自分の着ていた裃(かみしも)をその場で脱いで景信に与えました。その後、狩野景信は、家康から百石を与えられ、家臣になります。
 別の資料では、安倍の狩野家は江戸時代には落合村(現静岡市玉川地区)の名主を代々務め、村内に分家を作ったとあります。
 現在、狩野宏さんは、末えいにあたり、家を守り継いでいるほか、「玉川トレイルレース」の主催者として活躍されています。